貨幣とは? イングランド銀行(英国中央銀行)季刊誌『現代の経済における貨幣創造』参照
経済において重要な役割を果たしているのは貨幣であることに異論はないでしょう。
でも「貨幣とは?」と問われ、即答できる方は多くないかもしれません。
この問いについては、二つの立場があります。
商品貨幣論と信用貨幣論です。
α)商品貨幣論:貨幣は、商品である。例:金貨
β)信用貨幣論:貨幣は、特殊な借用証書である。例:紙幣
この点については、金本位制(貨幣を金の価値を関連させる)ではない現在の貨幣制度=貨幣は、単なる紙切れか鉄等の小さな塊にすぎない=では、α論を採用できません。
そのため、β論が現在の貨幣制度に合致しているかと思われますが、貨幣が「特殊な借用証書」と言われてもなかなか理解できないでしょう。
そこで参考になるのが、「特定の人間が、負債を負ったときに貨幣が生まれる」と言って信用貨幣論を説明しているイングランド銀行(英国中央銀行)季刊誌『現代の経済における貨幣創造』です。
同誌では、「ロビンソン・クルーソーとフライデーしかいない孤島」という架空の事例を使って信用貨幣論を説明しています。
この点については、中野剛志氏の記事『【マネーの本質】なぜ、単なる「紙切れ」の紙幣で買い物ができるのか?』(DIAMOND ONLINE)も参考になるので引用します(強調、下線は筆者)。
その孤島で「ロビンソン・クルーソーが春に野苺を収穫してフライデーに渡す。その代わりに、フライデーは秋に獲った魚をクルーソーに渡すことを約束する」とします。この場合、春の時点で、クルーソーがフライデーに対して「信用」を与えるとともに、フライデーにはクルーソーに対する「負債」が生じています。そして、秋になって、フライデーがクルーソーに魚を渡した時点で、フライデーの「負債」は消滅するわけです。しかし、口約束では証拠が残りませんよね? そこで、約束をしたときに、フライデーがクルーソーに対して、「秋に魚を渡す」という「借用証書」を渡します。この「借用証書」が貨幣だというわけです。
【マネーの本質】なぜ、単なる「紙切れ」の紙幣で買い物ができるのか?(DIAMOND ONLINE)
これはクルーソーとフライデーの2者間のやり取りなので、“貨幣感”がないことから、中野氏は、さらにマンデー、サンデーという登場人物を出して補足します(強調、下線筆者)。
この島には、クルーソーとフライデー以外に、火打ち石をもっているサンデーという第三者がいるとします。そして、サンデーが「フライデーは約束を守るヤツだ」と思っているとともに、「魚が欲しい」と思っていれば、クルーソーはフライデーからもらった「秋に魚を渡す」という「借用証書」をサンデーに渡して、火打ち石を手に入れることができるでしょう。さらに、この三人に加えて、干し肉を持っているマンデーという人もいたとします。そして、マンデーも「フライデーは約束を守るヤツだ」「魚が欲しい」と思っているとすれば、今度は、サンデーが例の「借用証書」をマンデーに渡して干し肉を手に入れることができるでしょう。その結果、フライデーは「秋に魚を渡す」という債務を、マンデーに対して負ったということになります。そして、秋になってマンデーがフライデーから魚を手に入れれば、フライデーの「借用証書(負債)」は破棄されるわけです。
【マネーの本質】なぜ、単なる「紙切れ」の紙幣で買い物ができるのか?(DIAMOND ONLINE)
このようにフライデーが発行した「借用証書」が、〔クルーソー→マンデー→サンデー〕と流通し貨幣として機能します。つまり、フライデーへの信用が、貨幣の本質=「貨幣は、特殊な借用証書である」=信用貨幣論ということです。
経済の動きを理解するのに「貨幣」性質への理解は必要不可欠です。
別の機会になりますが、MMT(現代貨幣理論)、税の性質、インフレ・デフレ等を正しく読み解くためには、やはり、これらの前提となる「貨幣」性質理解が必要となります。その理解を誤ると、経済悪政について盲従することになりかねない。
だからこそ、我々国民は、政府自民党に対する政策リテラシーが必要となっています。
どれだけ、政府自民党が、メチャクチャな政策をして日本を弱体化させているのか? それについて知るためにも、まずは正しい「貨幣」観を持たなければなりません。