維新回帰!全ての前提:ネクローシスからアポトーシスへ

「日本だけではやっていけない」

このような状況を理解はをしている人は、どれぐらい存在しているだろうか。

そもそも、統計データ等の客観的な指標を見るまでもなく「グローバル化」という言葉と現象が共通理解の現代においては、「自国だけ完結するような政治経済体制」などは存在できないのは自明の理であるはずだ。

しかしながら、私は、これまで多く政治家(大臣経験者を含む)、学者、企業家、専門職、技術者の方々と対話してきたが、上記のようなこと理解をしている方は、考えていたよりも少なかった。

もちろん、彼らも「自国だけで完結するような政治経済体制」などを想定して、このような意識をもっているわけではないだろう。
だが、バブル時代にあったような「ジャパンアズナンバーワン」 という意識が発言の根底にあるような人も珍しくなかった。

ところが、2020年初頭から始まった「コロナ禍」によって「日本だけではやっていけない」という意識を持つ人が、一般的に増えてきたように思える。
それは、戦後、日本及び日本人が形成し、一度は国際社会から承認されたように思える“自信”の自己融解=壊死(necrosis)といえるのではないか。

そこで、このような意識を「ネクローシス(necrosis)」と呼ぶことにする。

そして、このまま「ジャパンアズナンバーワン」という幻想に囚われながらネクローシスを進行させていくと、“自信”の自己融解が「日本=“身体”」全体の自己融解へと拡がっていく。

その結果、その「日本=“身体”」は機能停止してしまうだろう。

だからこそ、我々日本人は、ネクローシスという非建設的な自己融解をアポトーシス(Apoptosis) という建設的な自己融解へと転換させなければならない。

そして、この転換は、戦前、それこそ明治維新(1868年)時に有していた感情への回帰であるととともにイノベーションとなり得るものである。